俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会

各自治体首長のエッセイ

#27:金子兜太と森村誠一が広げる俳句の世界

埼玉県熊谷市長 小林哲也
(会員誌「HI」No.158掲載)

 熊谷市は、関東平野のほぼ中央に位置し、北に赤城山、西に秩父連山を望み、利根川と荒川の二大河川を有します。また本市は、先史・古代から現代に至るまで人々が途切れることなく住み続け、深い歴史と文化を育んできた街で、多くの文化人にゆかりのある街でもあります。
 現代俳句を70年にわたり牽引した金子兜太氏は、98歳で亡くなるまで、人生の半分以上をこの熊谷で暮らしました。兜太氏はこの地を、「利根川と荒川の間雷遊ぶ」と詠んでいます。また、兜太氏は「社会性俳句の旗手」として知られていますが、「曼殊沙華どれも腹出し秩父の子」など、「産土(うぶすな)」、生まれた土地や故郷の薫りがする人間味豊かな句を数多く遺しました。
 現在、市内7か所に兜太氏の句碑が建立され、令和元年には、生誕100周年を記念した追悼事業「金子兜太句碑めぐり」を実施し、多くの方々に御参加いただき好評を博しました。
 一方、本市では、新たな俳句の取組として「写真俳句コンテスト」を開催し、今年で11回目を迎えました。写真俳句とは、本市出身で日本を代表する作家の一人の森村誠一氏が提唱する、写真と俳句を組み合わせてイメージを融合させ、作品を創り出す新しい表現方法です。今年は、国の内外から2,273点の力作が寄せられました。本コンテストの入賞作品は、市のホームページ「WEBくまがや写真俳句館」でも公開しています。ぜひ、御覧いただきたいと思います。
 兜太と誠一、両氏には、戦争体験という共通点があります。第二次世界大戦下、トラック諸島で生死の境をさまよった兜太氏。終戦前夜に空襲を受けた熊谷で、真っ赤に燃える市街地とそこを流れる星川に浮かぶ無数の犠牲者を見た誠一氏。二人の根底には、恒久平和への願いがあります。兜太氏が長崎で作った社会性俳句の代表句の一つ「彎曲し火傷し爆心地のマラソン」は、坂の街を苦しそうに走るランナーと原爆被害者の惨状の姿を重ねて表現しています。
 結びに、自然風景への深い感動とともに日常に生きる人間の温かさを、俳句によって詠むことのできる穏やかな世の中が続くこと、さらには二人の活動によって広がった俳句文化が世界中で親しまれ、平和への架け橋となることを願っています。今後も引き続き、俳句ユネスコ無形文化遺産登録の実現に向けて貴協議会の皆様とともに力を合わせてまいりたいと存じます。