俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会

各自治体首長のエッセイ

#26:詩情豊かな坂のまち・小諸

長野県小諸市長 小泉俊博
(会員誌「HI」No.157掲載)

 長野県の東部に位置する小諸市は、高地に位置し、冬の寒さは厳しく、夏は湿気が少なく過ごしやすい地域です。北に浅間山、南西部に千曲川が流れ、城下町より低い場所に位置する小諸城跡は「懐古園」として親しまれ、四季の移り変わりを楽しめる観光スポットとなっています。
 歴史は古く、縄文・弥生時代から始まり、中山道、北国街道、佐久甲州街道の交わる交通の要所として城下町が形成され、宿場・商業都市として栄えると、俳句はその詩形の親しみやすさから庶民の間にも広く普及し、小林葛古、小山魯恭といった郷土の俳人が活躍しました。魯恭により出版された「糖塚集」には、帰郷の折に小諸を訪れた小林一茶の句も記されています。
 明治時代に入ると、商業が発展するなかで、文化振興にも力を入れ、明治32年に教師として6 年余を小諸で過ごした島崎藤村にとっては、詩から小説への転換の場となり、大正・昭和と幸田露伴、若山牧水、野口雨情など様々な文人が訪れました。
 昭和19年、高濱虚子は戦火を避けて、鎌倉より小諸へ疎開します。五女・高木晴子の縁で、借りた離れを「虚子庵」、作業小屋を「俳小屋」と呼びました。俳誌「ホトトギス」の雑詠の選や創作活動を精力的に行い、作句に変化をもたらした厳しく美しい豊かな自然と人情に触れたその様子は、小諸雑記などからも読みとれます。また、臼田亜浪、栗谷川桃花など地元の俳人に多大な影響を与えました。「人々に更に紫苑に名残あり」。昭和22年に惜しみつつ小諸を去る際の一句です。
 「虚子庵」は移築し、当時のままの姿で残っています。平成12年3月には、隣に小諸高濱虚子記念館が開館し、偉業を顕彰するとともに、「小諸時代」当時の景色、自然を感じながら句作のできる場となっています。そして、「虚子・こもろ全国俳句大会」、「こもろ・日盛俳句祭」などを開催し、俳句愛好家と地元住民とで一丸となって俳句文化の振興に努めています。
 今後もひき続き、先人たちの手で普及・発展、そして継承してきた俳句文化を、より一層世界へ広げることができるよう、俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会の皆様と一緒に、活動を推進してまいりたいと存じます。