俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会

各自治体首長のエッセイ

#28:近代俳句のまち・皆野

埼玉県皆野町長 柴崎勉
(会員誌「HI」No.159掲載)

 秩父盆地北端に位置する皆野町は、荒川と同川が形成した河岸段丘を中心に、東に蓑山と外秩父山地、西に城峰山地を控えた自然豊かな町です。天空のポピーや秩父華厳の滝、蓑山の雲海など、四季の移り変わりを楽しめる観光スポットとともに、秩父札所の結願寺である札所34番水潜寺、往古の秩父往還の面影を残す一里塚や道しるべ、龍ヶ谷城をはじめとする山城など、町の歴史を現在も伝える史跡が点在します。
 俳句に目を転ずると、秩父盆地の入り口に位置し、下野や信濃への道も交わる皆野町には多くの芸能者や文化人が滞在し、近世末期には農閑期の娯楽として俳諧が普及していました。このような動きを下地に、大正期以降、近代俳句が盛んになります。
 ホトトギス派の活動が盛んであった現在の秩父市に対し、皆野町では、金子兜太の父であり、医師でもあった俳人・金子伊昔紅を中心に馬酔木派の流れが生まれます。高濱虚子と並ぶ近代俳句の巨星、水原秋櫻子と中学同級であった伊昔紅は、自宅兼医院である壺春堂開業後、秋櫻子が主宰する俳誌『馬酔木』への投句を始めます。以後、長瀞岩畳や三峯神社、中津川渓谷などには伊昔紅を介して秋櫻子や石田波郷など錚々たる俳人が吟行に訪れ、馬酔木調と呼ばれる美しい作品を通じて景勝の地の魅力が全国に発信されました。また、町内の旅館や食堂にも色紙や短冊、掛軸などが数多く残されています。
 皆野町内でも俳誌『若鮎』(昭和7年~同9年)や『雁坂』(昭和21年~同30年)を通じ、近代俳句が広がりを見せました。壺春堂と、隣接する土蔵で催された句会は「酒と野菜を持ち寄って、夜更けまで鈍重に熱心に殆ど肉体で押していくよう」(金子兜太『狸の應召』「寒雷」昭和17年9月号所収)であったといいます。伊昔紅のもとで研鑽を積んだ町の俳人たちは馬酔木系俳誌『鶴』、『初鴨』、『巖』、『暖流』同人として活躍し、戦後には秩父の基幹産業であった織物産業の組合機関紙『秩父新聞』紙上でも健筆をふるいました。
 当時の姿を残す壺春堂と土蔵は令和3年2月に国登録有形文化財に登録されました。現在、壺春堂は屋内の一部がカフェスペースに改装されて一般公開がなされ、当時の様子を体感することのできる場となっています。
 現在皆野町では、小学校による壺春堂の見学や中学校を対象とした俳句教室の開催、壺春堂から発見された近代俳句資料をもとにした企画展の開催など、先人たちが築き上げた近代俳句文化の継承と発展に力を入れています。今後も、俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会の皆さまとともに、活動を推進してまいりたいと存じます。