俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会

各自治体首長のエッセイ

#25:芭蕉の愛したまち 大津

滋賀県大津市長 佐藤健司
(会員誌「HI」No.156掲載)

 大津市は、日本最大の湖である琵琶湖に面し、比良、比叡、音羽、田上などの山並みに囲まれた自然豊かなところで、地形は南北に細長く、湖岸域に市街地・集落が形成されています。
 また、天智天皇が近江大津宮に遷都してから1,300年以上年経つ歴史を有する古都であり、国指定文化財件数では京都市・奈良市に次いで全国第3位を誇り、世界遺産に登録されている比叡山延暦寺をはじめ、滋賀県指定文化財も数多くあります。
 そのような大津を芭蕉は50年の生涯で9 度も訪れ、全981句のうち、その1割近い89句をこの地で詠みました。
 有名な『辛崎(からさき)の松は花より朧(おぼろ)にて』は、「野晒(のざらし)紀行」の旅の途中、近江八景の「唐崎の夜雨」に出てくる湖面越しの「辛崎(唐崎)の松」を眺めて読んだ句です。
 芭蕉は、『行く春や近江の人と惜しみける』と詠んだように、近江、とくに大津の地をこよなく愛しました。また、芭蕉は大津の膳所門人に宛てた手紙で「旧里(ふるさと)」の言葉を使っており、いかに芭蕉が大津を愛していたかがわかります。
 芭蕉ゆかりの地である幻住庵(げんじゅうあん)は、「奥の細道」の旅を終えた翌年に約4 ヵ月暮らした草庵です。幻住庵は、紫式部が源氏物語の構想を練ったといわれている石山寺の北西にある近津尾神社にあります。芭蕉はここからの眺望やここでの暮らしを心から愛しました。ここでの生活を『幻住庵記(げんじゅうあんのき)』で著したことは有名です。『幻住庵記』は総文字1,600ほどの俳文の最高傑作とも言われています。
 今でも幻住庵では、毎年、幻住庵俳句コンクールや幻住庵芭蕉祭が開催されるなど、芭蕉を偲び将来に伝えていく催しが受け継がれています。
 芭蕉は、戦に敗れ、壮絶な最期を遂げた木曽義仲と並び、国の史跡である義仲寺で静かに眠っています。
 俳句を詠むことは、自然を愛し、お互いの多様性を認め合うことです。今、ウクライナとロシアの間で悲惨な戦争が行われています。違う宗教、違う人種、違う国々それぞれがお互いを認め合うことで争いは減り、世界平和につながります。
 俳句を愛すること、それは自然を愛し、人を愛することに繋がります。
 芭蕉が大津に残した俳句は、今も大津に息づき、市民に愛され、人々の心を温かくしてくれています。

【参考文献】
大津の文学(発行:大津市)
芭蕉さんと私Ⅱ(発行:芭蕉翁生誕370年記念事業実行委員会(伊賀市))
京都・湖南の芭蕉(発行:京都新聞出版センター)