俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会

各自治体首長のエッセイ

#24:山崎宗鑑ゆかりの地 俳句のまち・草津

滋賀県草津市長 橋川渉
(会員誌「HI」No.155掲載)

 日本のほぼ中央、滋賀県の南部に位置する草津市は、江戸時代、東海道と中山道が分岐・合流する地として栄え、ひと・もの・情報が行き交う東海道五十三次の第52番目の宿場町として、街道の賑わいを極めました。街道文化が今なお息づく本市は、現在もJR琵琶湖線や国道1号、名神高速道路等、国土交通幹線が交わる交通の要衝であり、滋賀県下で中心的な役割を果たす都市として発展を続けています。人口も増加が続き、県内乗降客数1位、2位を競う草津駅・南草津駅周辺の都市化が飛躍的に進む一方で、湖辺一帯にはのどかな田園風景が広がり、琵琶湖の対岸に望む比叡の山並みが調和して、四季折々の美しい景観を楽しむことができます。
 この自然豊かな琵琶湖の湖岸「近江国志那」(現代の草津市志那町)に、俳諧の祖・山崎宗鑑は生を受けたと伝えられています(本名・出自については諸説あります)。宗鑑は、幼年から室町幕府第9 代将軍の足利義尚に仕え、古典・和歌を学びました。義尚没後出家し、洛西山崎に庵「對月庵」を結んだことから、山崎宗鑑と呼ばれました。宗鑑は、それまでの形式的な伝統を重んじる連歌よりも、むしろその余興としての俳諧に新しさを見い出し、俳諧の連歌という新しい分野を築きました。
 「宗鑑はいづこへと人の問うならば ちとよう(癰・用)ありてあの世へといへ」
 この句は、宗鑑の辞世の句として有名です。
 宗鑑ゆかりの本市では、「俳句のまち・草津」をメインテーマとして、ふるさと意識を高め、連帯感と愛着心が育つ風土づくりをしようと、市内8 箇所に宗鑑をはじめとする芭蕉や蕪村の句碑を建立しています。その内、宗鑑の句碑は4 基あり、最も有名なものは蓮海寺(志那町)境内に、志那顕彰会有志の皆様によって建てられた「元朝のみるものにせん不二の山」の句碑です。ここからも、宗鑑がふるさと草津の地域住民に広く愛されていることを感じていただけると思います。そして、宗鑑翁の命日である10月には、俳句愛好家が集い、毎年「宗鑑忌俳句大会」を開催いただいています。
 また、本市では、俳句のまちづくりの一環として、「ふるさと草津俳句会」「俳句入門講座」をはじめ、今後の俳句文化の担い手となる子どもたちの育成を目指し、市内小・中学生を対象に「青少年俳句大会」を実施しています。
 これからも、わずか十七音の限られた文字数の中で、移ろう季節の風景や心の機微を表現できる奥深い文化、日本が誇る俳句の魅力が全世界に広く伝わり、その価値が一層高まりますよう、協議会の皆様とともに取組を推進してまいりたいと存じます。