俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会

各自治体首長のエッセイ

#15:崇高な理念をより確固なものに

新潟県出雲崎町長 小林則幸
(会員誌「HI」No.146掲載)

出雲崎町は新潟県内の海岸線のほぼ中央に位置します。漁業と観光の町・出雲崎町は江戸時代、湊と北國街道の陸海路を備えた要衝の地として大変栄えた地であります。

江戸時代、出雲崎は越後で最初の幕府直轄地(天領)であり、佐渡からの金銀荷揚げ地として賑わっておりました。今でも間口の狭い民家(妻入り)が街道に沿って立ち並んでおり、この様は当時の繁栄の名残でもあります。また、海運による物資の供給が盛んに行われた北前船寄港地(日本遺産認定)や聖僧・良寛さんの生誕の地として知られております。

江戸時代は政治的には幕領体制の中にあり、経済面では湊を中心とした商業資本が確立した反面、教育・文化においては組織的な活動が見られず、こうした状況下で俳諧が受け入れやすい形で入り込み、出雲崎の文化史の中心として形成されていきました。

元禄2 年(1689)「おくの細道」の途次、松尾芭蕉は出雲崎で一泊し、名吟「荒海や佐渡によこたふ天河」を詠んでおります。芭蕉の影響がその後の出雲崎の俳諧史を華やかに彩ることとなりました。

その後、出雲崎に多くの文人墨客が来杖することとなります。俳人では、芭蕉の門人で美濃派の祖となった蕉風十哲の一人・各務支考を始め、摩詰庵雲鈴、仙石盧元坊、加藤暁台等々の当時名を馳せた俳人、そして、現在に至る間も多くの著名な俳人が来遊しております。

町内にある芭蕉園には、芭蕉が出雲崎を訪れた時から300年を記念して建てられた芭蕉の銅像とともに、芭蕉の俳文「銀河の序」の石碑が建立されています。傍らには俳句ポストが置かれ、観光客は思い思いに投じ、優れた句は毎月の町広報誌に掲載しております。

俳諧の影響を受け、町には現在、「越後出雲崎渚会」と「西乃越句会」が活動し、その両句会が主宰して「奥の細道天の河俳句大会」を開催しております。毎年、県内外から俳句愛好者が参集し、熱のこもった大会となっております。さらに、町内の小学校4 年生以上を対象に、地元俳人を指導者として「俳句教室」を行っております。活字離れが進む子ども達にとって言語・表現能力の助長、豊かな感性を育てる上で貴重な文化の体験であります。

俳句文化は古今東西普く日本人の心に根付いてまいりました。今は、海外でも俳句が広く愛好されております。例え、言語・生活様式が異なっても、創造力の喚起、豊かな表現など定型詩として、そこに流れる俳句の崇高な理念を疑う余地は一片もありません。関係する皆様とともに俳句文化がユネスコ無形文化遺産に登録されることを願って止みません。