俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会

各自治体首長のエッセイ

#17:俳句の持つ力

石川県金沢市長 山野之義
(会員誌「HI」No.148掲載)

金沢は加賀藩の城下町として都市の礎が築かれ、市内中心部には、金沢城や惣構(そうがまえ)、用水網など城下町の都市構造や、茶屋街、寺院群などの歴史的まちなみが今もなお残っています。

歴代藩主は、「武」よりも「文」を奨励し、学術、文化、工芸の振興に力を注ぎました。江戸時代に花開いた武家文化が連綿と受け継がれてきた結果、まちに魅力と品格を与え、現在では「歴史都市」「文化都市」「創造都市」として、国内外の多くの方々から評価されております。

金沢のまちの個性と魅力は、こうした固有の歴史風土に培われた学術と文化、そして新しいものにも目を向け、新たな価値を生み出してきた創造性あふれる文化的土壌にあります。

現代につながる金沢の文化の礎が築かれたのは、第5 代藩主前田綱紀の時代と言われております。綱紀は、日本中から優れた学者や貴重な書物を集め学問を奨励したことにより、「加賀は天下の書府」であると称えられました。

この時期、元禄2年に、松尾芭蕉は『おくのほそ道』の旅で金沢を訪れ、10日滞在したとされています。『おくのほそ道』における金沢の記述は10行余りにすぎませんが、河合曾良の随行日記などにあるとおり、芭蕉は、金沢で多くの俳人たちと交流を深めています。そのうちの1人、立花北枝は1か月近く旅に随行し、芭蕉から多くのことを学び、後世に伝えました。

また、芭蕉が金沢に来たことをきっかけに、多くの俳人が芭蕉の門人となり、加賀焦門として俳句が盛んになっています。金沢が生んだ三文豪、泉鏡花・徳田秋聲・室生犀星も俳句に親しみ、なかでも犀星は俳句を文学の出発点としました。

昨年度、奥の細道サミットにあわせ、俳句や奥の細道ゆかりのイベントを開催したところ、多くの市民の方々に参加いただき、改めて俳句文化が市民生活に息づいていると感じたところです。また、AI(人工知能)による俳句を取り上げたシンポジウムでは、AI の可能性と人間の価値観、人生観をどのように生かしていくことができるかなどが話され、今後の俳句の世界の広がりについて考える大変貴重な機会となりました。

俳句は世代や地域を超えて感動を伝え、共有させる大きな力を持っています。この俳句文化を未来につなげ、世界に発信していけるよう、貴協議会の皆様とともに、力を合わせてまいりたいと存じます。