俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会

各自治体首長のエッセイ

#13:『俳句文化を後世に伝えるために』

福島県須賀川市長 橋本克也
(会員誌「HI」No.144掲載)

須賀川市は、福島県のほぼ中央に位置し、国道4号を挟んで東西に伸び、市街地は南北に馬の背のように伸びた丘陵地に広がっています。

江戸時代、奥州街道屈指の宿場町として栄え、1689年には、俳聖・松尾芭蕉が「おくのほそ道」行脚の際に、かねてより親交のあった相楽等躬を訪ね、7泊8日滞在しています。これは、当時の須賀川俳壇が高い水準にあり、更に等躬や須賀川の俳人らの手厚いもてなしがあったからこそと思われます。その後も等躬と蕉風俳諧の系譜を受け継ぎ、藤井晋流や石井雨考、市原多代女などの須賀川俳壇の輝かしい歴史と精神は脈々と受け継がれています。

現在、市内の景勝地や小中学校に俳句ポストを設置しており、市内外から毎年9,000句以上の投句がされています。これは、次世代を担う子ども達の言語能力や表現能力を培うほか、市民や観光で訪れたお客様へ「俳句のまち須賀川」を発信し、俳句に親しんでもらうことにも繋がっています。

また、平成元年に芭蕉来訪300年を記念し整備された「芭蕉記念館」は、須賀川の観光及び市民の学術・文化振興の拠点として利用され、多くの来訪者をお迎えしました。しかし、東日本大震災により甚大な被害を被り、等躬屋敷跡に建つビルに移転し、仮設運営していますが、その機能を継承しつつ、郷土の偉人顕彰や俳句を中心とした文化の継承、それらを通じた人々の交流を促す施設として、「風流のはじめ館」の整備を進めており、来年度の開館を目指しています。この施設の名称は、芭蕉が「おくのほそ道」行脚の途上、みちのくの地に入った感慨について詠んだ「風流の初めやおくの田植うた」を踏まえたもので、市民等の参加を得て開催した施設名称検討ワークショップで提案された中から選定しました。

更に、昨年「松明あかし」が「俳句歳時記」の季語として収載されました。先に収載されています「牡丹焚火」と合わせて2 例目となりますが、市内の俳句結社「桔槹吟社」を中心とした地道な活動が結実したものであり、改めて敬意と感謝を申し上げる次第です。

このように、官民一体となって俳句文化を後世へ伝えるため取り組んでおります。協議会の皆さまとユネスコ無形文化遺産登録を目指し活動することは、本市の取組を更に発展させる契機になるものとして期待しております。