俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会

各自治体首長のエッセイ

#9:「俳句と八戸」

青森県八戸市長 小林眞
(会員誌「HI」No.140掲載)

青森県の南東部に位置し、先人たちの弛みない努力と恵まれた地域資源を背景に、東北随一の工業都市、北日本屈指の国際貿易港、青森県南から岩手県北にまたがる広域圏における中心都市として発展してきた八はち戸のへ市し は、産業面のみならず、文化面でも豊かな歴史を育んできた。特に、八戸と俳諧の歴史は古く、系統立った俳諧の始まりは、八戸藩第7 代藩主・南部信のぶ房ふさが蕉しょう風ふう俳諧へ入門、天明三年(一七八三)に立りっ机き して、互ご 扇せん楼ろう畔はん李り と号してからと言われている。その頃、十二文・十六文という蕎麦一杯の値段で応募できる「月つき並なみ句く 合あわせ」が流行しており、後に数度の改号を経て、五ご 梅ばい庵あん畔李と号した信房は、二月から十二月の題を記した「五梅庵畔李評 月並句合」の評者となった。投句された句は、天・地・人等に選定され、入選すると賞品が貰えるとあって、武士や町人の間で流行し、愛好者が拡大したという。

そして、信房の弟・右京もまた、百ひゃく丈じょう軒けん互ご 連れんと号し、以来、八戸の俳諧は蕉風俳諧の流れを汲む「互扇楼」「星せい霜そう庵あん」「百丈軒」「花月堂」「三さん峰ぽう館かん」の五系統を中心に続き、現在はそのうちの「星霜庵」「百丈軒」「花月堂」が、明治期に創設された「八戸俳諧倶楽部」に受け継がれてきた。

現代以降、俳人の登竜門として知られる角川俳句賞の受賞者も数名輩出している八戸は、風土俳句の全国有数の発信地でもある。

例えば、三陸復興国立公園内の景勝地――波打ち際まで天然芝が広がる海岸で青と緑の絶景を堪能できる「種差天然芝生地」や、毎年3 ~ 4 万羽のウミネコが飛来する国の天然記念物「蕪島」など、八戸の風光明媚な自然の肥沃さは吟行の格好の素材となり、更に、ここに暮らす人々の営みに深く根ざした「八戸えんぶり」などの郷土色豊かな民俗芸能が、脈々と息づく地であることも、俳句が盛んとなる土壌として大いに影響しているであろう。

現在では、「薫くん風ぷう」「青あお嶺ね 」「たかんな」の三結社が中心となり、切磋琢磨しながら、八戸の俳壇を牽引しており、それぞれの精力的な活動が当市の俳句界を支えている。当市が昨年4 月に本協議会への自治体加盟を決めたのも、関係各位の熱意が支えとなったところが大きく、今後こうした方々の活動に寄り添いながら、わが国が誇る文化である俳句が、世界で更に羽ばたくため、会員各位とともに力を合わせられればと考えている。