世界に広がり定着するHAIKU
今や世界中に俳句の愛好者がいます。西洋では「HAIKU」(「HAIKAI」と呼ばれたこともあります)、中国では「漢俳」とも呼ばれ、二百近い国・地域において二百近い言語で俳句が作られるほどの世界的な広がりを見せています。
広がりだけではなく、俳句は世界各地の文化に浸透し、根付いているとも言えます。例えば、日本以外のさまざまな国の初等・中等教育で「HAIKUを作ること」が普通のカリキュラムとして取り入れられることももはや一般的です。つまり、そのような国では多くの人が「人生で少なくとも一度はHAIKUを作ったことがある」という状況になっているのです。
そのようにして世界に広がったHAIKUの中には、季節や言語的な形としての短さの違いもあり、必ずしも五七五や季語を使っていないものも多くあります。それでも、それらも含め、俳句という日本生まれの独特の詩のあり方は、世界の多くの人たちを魅了し続けているのです。
海外の作家・詩人・芸術家からも愛好される
例えば日本の浮世絵が、海外の芸術家から高く評価され、影響を与えてきたのは有名な事実ですが、その状況はHAIKUも似ています。俳句が海外に紹介されて以来、その独特の詩形は多くの作家・詩人・芸術家を魅了し、彼らの考え方や作品作りに影響を与え、さらに一部の人たちはHAIKUを作ることに熱中してきました。
HAIKUを評価したもっとも初期の文学者の一人は、エズラ・パウンドです。米国で生まれ欧州で活躍し、前衛詩運動を主導したこの詩人は、俳句に強い関心を示したのみならず、俳句を意識した英語での短い詩を作りました。五七五ではなく季語もありませんが、その短い詩は後に広く知られるようになり、文学史に残る作品としては〝世界で初めて英語で作られたHAIKU〟と位置付けられることもあります。
米国では、代表作『路上にて』によって米国文学史にその名を刻んだ小説家・詩人ジャック・ケルアックも、生涯を通じて熱心にHAIKUを作り続けました。米国の黒人文学の先駆者とされる小説家リチャード・ライトも、晩年になって多くのHAIKUを作りました。現代の米国でも、HAIKUを作るという作家は少なくありません。
もちろん米国だけではありません。フランスでは、早くから詩人・医師・哲学者ポール=ルイ・クーシューや詩人・外交官ポール・クローデルらが俳句に注目し、1916年には、詩人・批評家ジュリアン・ヴォカンスが、世界初の戦争句集『戦争百景』を出版しています。
ノーベル文学賞を受賞したメキシコの詩人オクタビオ・パスもHAIKUに強い関心を抱きましたし、同じくノーベル文学賞受賞者のスウェーデンの詩人トーマス・トランストロンメルも、詩作品の一部としてHAIKUを作り、世界的に評価されました。
さらに、HAIKUに関心を持ったのは、文学者だけではありません。例えば米国の著名な前衛音楽家であるジョン・ケージも、HAIKUに強い関心を示し、「HAIKU」と題した作品も残されています。
このように、独特のユニークさを持つ詩形であるHAIKUは、世界の文学や芸術にも軽視できない影響を与えて続けてきました。