俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会

俳句の文化と歴史

今や世界にひろがるHAIKU。その源流である日本語俳句について、歴史的経緯を振り返ります。

日本には、和歌などの詩の長い歴史があります。その流れの一つに、複数作者の共同による連作形式の詩の様式である連歌という詩型があります。16世紀になると、その連歌から、俳言(和歌・連歌には用いない俗語・漢語)を取り入れた俳諧連歌(俳諧、古典俳句ともいいます)と呼ばれる詩型がさらに派生し、芭蕉、蕪村、一茶などの世界的に有名な俳人を輩出しました。

その俳諧における冒頭の句は、発句と呼ばれ、その句座やその場の時空への挨拶として用いられました。旅や慶弔などで一句だけで作られることもありましたが(地発句といいます)、やがて完全に独立して、近代俳句に移行しました。

発句が、主として、五七五の型で作られ、また挨拶性のため、季の詞(きのことば。季語の原型)を入れていたことから、近現代の日本語俳句も、多くは、五七五の型と季語を維持した有季定型で作られています。加えて、有季定型派の中でも、季語を入れるのでなく、和歌の季の題(きのだい。季題の原型)のように、季題を詠むべきだという考えも生じ、伝統俳句という流れになりました。

しかし、俳諧の時代から、季の詞のない句も多くありました。また、発句が独立して、古典俳句から近代俳句になったとき、ある意味でそれは新しい一行詩になり、発句どおりに作る必然性はなくなりました。そこで、俳句を革新してゆく運動の中で、季に縛られない無季俳句や定型から自由な自由律俳句も積極的に作られるようになっていきます。世界的に有名な種田山頭火は、自由律の俳人です。

無季や自由律の影響は非常に大きく、日本国内では、新興俳句、社会性俳句、前衛俳句、多行形式俳句と呼ばれた現代俳句につながってゆき、俳句の歴史に大きな活力を与え続けています。海外での影響はさらに大きく、無季や自由律の俳句が外国語俳句の圧倒的な多数を占めます。その背景として日本語俳句と比べて外国語俳句では、季節のありようが大きく異なり、日本語と同じ本意を持つ季語が少なく、五七五の型の歴史がなく、言語的な短さの感覚も日本語と違う、といった要因があります。