俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会

各自治体首長のエッセイ

#19:湯の薫る地の俳句文化

石川県加賀市長 宮元陸
(会員誌「HI」No.150掲載)

石川県の西南端に位置する加賀市は、江戸時代に加賀藩の支藩である大聖寺藩によって治められた城下町「大聖寺」、北前船の船主が暮らし「日本一の富豪村」と呼ばれた「橋立」、北陸道の宿場町で賑わった「動橋(いぶりはし)」など特色ある地域で構成されています。また、主要な観光地である「片山津」「山代」「山中」の個性豊かな三つの温泉には、古来より多くの文人墨客が訪れました。

中でも山中温泉は、元禄2年(1689)、『おくのほそ道』の道中に松尾芭蕉が滞在し、江戸から共に旅をしてきた弟子の曾良との別れの地として知られています。

旅の疲れをゆっくりと癒した芭蕉は、山中の湯を有馬・草津と並ぶ扶桑三名湯と称賛し、8泊9日を過ごしました。滞在中に立ち寄った鶴仙渓の「道明が淵」は、国指定名勝「おくのほそ道の風景地」となっており、江戸時代に建てられた「やまなかや 菊はたをらじ ゆのにほひ」の句碑が残されています。また、当地の俳人に与えた影響も大きく、特に宿泊先の主・泉屋久米之助には自らの俳号「桃青」の一字を与え、「桃妖」と名付けたと伝わります。桃妖は芭蕉が去ったのち、その期待に応えて山中俳壇の中心として活躍しました。

芭蕉の足跡は大聖寺にも残っています。山中で曾良と別れた後、芭蕉は再び小松に向かった後、大聖寺まで戻って曹洞宗の全昌寺にて一泊しましたが、前夜まで宿泊していた曾良とは入れ替わりになってしまいました。現在、二人が宿泊した部屋は復元され、境内に芭蕉碑と曾良の句碑を見ることができます。

加賀市では芭蕉を偲び、山中温泉にて「芭蕉祭山中温泉全国俳句大会」を例年開催しています。俳句愛好家の交流の場として、全国をはじめ海外から応募をいただくとともに、市内小中学校からも多数の参加があり、次世代に俳句の魅力を伝える一助となっています。令和元年の大会には、札幌AIラボ所長・北海道大学教授の川村秀憲氏のチームが開発した「AI一茶くん」が全国で初めて参加し、吟行句会において、AIが詠んだ俳句を披露しました。この挑戦はこれからの俳句文化に刺激をもたらし、創作の広がりを期待させてくれる機会となりました。

本来であれば、当大会は令和2年で30回目の節目を迎える予定でしたが、新型コロナウイルス感染症の影響により、令和3年に延期となりました。世界中で困難に直面している時代ですが、このような時だからこそ、文化の灯を絶やさぬよう努めてまいります。

研ぎ澄まされた言葉の中に潜む思いに惹かれ、俳句は多くの人に愛されてきました。先人より受け継がれてきた伝統文化の一つとして、これからも貴協議会の皆様と更なる発展を目指してまいりたいと存じます。