#33:芭蕉ゆかりの地・江東区「らしさ」を俳句から
東京都江東区長 大久保朋果
(会員誌「HI」No.164掲載)
江東区は、隅田川と荒川に囲まれ、東京湾に向かって発展してきたまちです。江戸の歴史文化や人情味あふれる下町情緒が色濃く残る一方で、臨海部においては東京の新しい顔の開発が進んでいます。
芭蕉は、延宝 8 年(1680)37歳の時、江戸日本橋から深川の草庵に移り住みました。この草庵では、多くの門人や俳諧の友と「風雅」に親しみました。現在、この地は「江東区芭蕉記念館」として、昭和56年に開館し、芭蕉の偉業を顕彰するとともに、句会など、俳句に親しむ愛好者の活動拠点として多くの人に利用されています。
「草の戸も住み替る代ぞひなの家」
元禄 2 年(1689) 3 月27日、芭蕉は深川から出船し、奥羽行脚の旅に出ます。出立にあたり人に譲った深川の草庵には、新しく桃の節句に雛人形を飾る家族が住み華やいだ家になった、と詠んでいます。日本近世文学史上に輝く名作『おくのほそ道』の旅立ちの地こそ江東区なのです。
「はこべらや焦土のいろの雀ども」
芭蕉が過ごした江東区の西側を深川地区といい、東側を城東地区といいます。この城東地区の北砂に昭和21年(1946)移り住んだのが昭和俳壇の中心的存在と評される石田波郷です。焦土に芽吹いたハコベをついばむ雀を詠んだように、波郷の「焦土諷詠」は戦後の傷跡が残る街とそこに生きる人々の姿とを歴史のひとこまとして私たちに伝えています。その功績は、波郷「第二の故郷」北砂に設立した石田波郷記念館で紹介しています。
芭蕉によって江東区に根付いた俳句の歴史と文化は、小林一茶・渡会園女をはじめ、江東区に足跡を残した多くの俳人が継承し、今なお地域で受け継がれて魅力ある「江東区らしさ」を育み、次世代へ引き継がれています。江東区では2014年から23区初となる区立小中学校へ専門の俳句講師を派遣して、俳句授業を充実する試みを実施しています。こどもたちが俳句を通して自然や身近な物事を見つめ・耳を傾け・触れて感じる世界は、私たち大人には想像もつかない、新鮮で鮮やかな景色に彩られています。記念館でのこどもたちへの各事業や俳句教育を通じて、未来の「俳句に親しむまち」を創っていく宝を育てています。
今や俳句の文化は世界に広がっています。現在、「Haiku」の開拓者「Basho」の聖地である江東区には多くの外国人が訪れています。2018年から開催している「芭蕉庵国際英語俳句大会」では全世界の俳句愛好者から作品が寄せられています。江東区から発信されている「HAIKU」が人類共通の文化として共有されるためにユネスコ無形文化遺産登録への活動が結実することを地元区長として心から願っています。