俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会

各自治体首長のエッセイ

#20:一茶ゆかりの地と高山村の俳句文化

長野県高山村長 内山信行
(会員誌「HI」No.151掲載)

長野県の北部に位置する高山村は、群馬県と接し、善光寺平の東辺に広がる山里です。村の約8割が森林の自然豊かな土地であり、りんごやぶどう、近年ではワインぶどう等果樹栽培が盛んです。村の中央を流れる松川の渓流沿いに8つのいで湯が続いており、開湯200年以上の山田温泉は、森鷗外や与謝野晶子等の文化名人が訪れ句作等を楽しんだ地です。長野県の柏原(現在の信濃町)出身で江戸時代後期の俳人である小林一茶は、「春風に猿も親子の湯治かな」という句を残しています。

高山村は、桜と紅葉の名所でもあります。特に春の桜は、「高山村の五大桜」とよばれる樹齢約150年から600年以上のしだれ桜が有名で、毎年荘厳な花を咲かせ人々を魅了しています。

山田温泉や桜の近くなど村内のいたるところに句碑や歌碑が建てられており、その中でも一茶の句碑は村内に17基あります。村に初めて建てられた一茶句碑は、山田温泉の明治27(1894)年に建立された「梅が香よ湯の香よさては三日の月」の句碑で、ここからも一茶や俳人たちの足跡を感じることができます。

高山村では、江戸時代から「高井野連」として俳句活動が活発でしたが、一茶が47歳(1807年)の頃、俳句指導者として村に訪れるようになってからはさらに盛んになりました。

一茶と村の門人たちは、一茶が亡くなる直前まで交流があり、村では門人宅や山田温泉などに合計160日ほど逗留しています。村で月見の句会をした際には皆既月食も見ており、皆既月食の俳句「人顔は月より先へ欠けにけり」と詠んでいます。

小林一茶が遺した「父の終焉日記」をはじめとする多くの遺墨は、村の門人の家で現代まで大切に保管され、現在は村営の博物館である「歴史公園信州高山一茶ゆかりの里」において多くの人に観ていただけるように保管・公開をしています。

「歴史公園信州高山一茶ゆかりの里」(通称:一茶館)は、平成8年、村に遺る一茶資料の流出を防ぎ永く保管し、俳句文化を普及するために建てられました。毎年、一茶ゆかりの里俳句大会や夏休み俳句教室等の俳句関連事業が行われています。

一茶が晩年高山村を愛し、俳句文化が普及されたのは、村の自然・文化を守ってきた村人たちによるものであり、今も景観・文化に力を入れ、受け継がれています。

「日本で最も美しい村」連合に加盟し、ユネスコエコパークに登録されている高山村に受け継がれてきた俳句文化を、これからも貴協議会の皆様とともに発展、推進してまいりたいと存じます。