俳句ユネスコ
無形文化遺産
推進協議会

各自治体首長のエッセイ

発刊によせて

岩手県一関市長 勝部修

一関市は、平成17年9月に7市町村が合併し、さらに平成23年9月には1町と合併して現在に至っており、人口約11万6千人の都市で岩手県で2番目に広い市です。

東北の真ん中に位置するここ一関市は、国定公園「栗駒山」をはじめ、名勝・天然記念物「厳美渓」、名勝・日本百景「猊鼻渓」、そしてお隣には世界文化遺産の「平泉」があり、豊かな自然と歴史や文化に恵まれた観光のまちでもあります。

当市の西部には、国指定史跡「骨寺村荘園遺跡」、国選定重要文化的景観「一関本寺の農村景観」があります。中尊寺経蔵別当領として、平安時代から平泉との関係が明らかであり、当時の景観が残っていることを確認できる場所も存在し、登録済みの世界文化遺産「平泉」への拡張登録を目指し、岩手県、奥州市、平泉町と連携した取り組みを行っております。

元禄2年(1689年)の旧暦5月12日に松尾芭蕉は一関市の磐井橋付近の金森邸に2晩の宿を求め、平泉を訪れたとされております。松尾芭蕉が江戸を出たのが元禄2年3月27日のことで、仙台、松島などを経て、登米を5月12日に出立し、かなりの雨だったらしく合羽を濡らしながら一関へ到着。5月13日には天気も晴れて平泉へ行き、再び夕刻に二夜庵に宿泊し、5月14日に日本海側の象潟へ向けて出立したといわれております。磐井橋付近にはゆかりの地として「二夜庵」があります。

「みちのく二夜庵俳句大会」は、この二夜庵を大会名に冠し、毎年10月に開催されています。市内小中学校の児童・生徒から約1,500句、市内外の一般の皆さんからも非常に多くの応募があり、幅広く多くの方々が俳句に親しみ、楽しんでいただけるような機会となっております。

当市においては、現在でも多数の俳句大会が開催され、中には先人の名前を大会名に冠し、功績を讃えながら俳句に取り組んでおり、市としてもこのような取り組みを支援しているところです。

貴協議会におかれましては、今後とも、協議会の活動を通じて、伝統ある俳句が世界に広く発信されることで、日本文化への理解が深まることを期待しております。

過去から未来へ

岩手県平泉町長 青木幸保

平泉町は、岩手県南部に位置し、北上盆地を挟んで、東に束稲山を主峰とする500m級の連山、西に奥羽山脈から張り出す標高200m内外の平泉丘陵が広がり、盆地中央を北上川が南流する風光明媚な町です。

11世紀末から12世紀の平安時代にかけて、東北の中心として栄華を誇った奥州藤原氏の拠点となった平泉には、今でも藤原氏が思い描いた争いのない平和な世界(浄土)をこの世に表そうとした寺院や史跡が多く残っています。また、その歴史に関するイベントも多く、中でも、毎年5 月に開催される春の藤原まつりでは、源義経公が藤原秀衡の出迎えを受けた際の情景を再現する「東下り行列」などが行われ、多くの観光客が訪れます。

平成23年6 月に「中尊寺」、「毛越寺」、「観自在王院跡」、「無量光院跡」、「金鶏山」の5 資産が世界遺産に登録されました。これに伴い、岩手県では平成26年に「平泉世界遺産の日条例」を制定するなど、町民だけではなく、県民をはじめ国内外の人々が広く理解を深め、適切な保存を行うことにより将来の世代に継承していくことを目的に文化遺産を活用した教育プログラムの実施や観光振興など、様々な取り組みを進めております。

そんな歴史と文化のまちである平泉は、古くから多くの紀行家が訪れたことでも知られています。歌人西行法師が訪れた際には、当時の束稲山一面に咲く桜を見て、桜の名称である吉野(奈良県)にも見劣りしないという歌を残しています。現在では、往時の桜山を復活させようと、植栽などの整備を行っております。さらに、西行の足跡を辿って旅に出た俳聖松尾芭蕉もこの地を訪れ、紀行文『おくのほそ道』で、「夏草や兵どもが夢の跡」、「五月雨の降り残してや光堂」といった藤原氏を偲ぶ歌を詠んでおり、その句碑が中尊寺と毛越寺に建てられています。

今では、芭蕉が訪れた日にちなんで、毎年6 月29日に「平泉芭蕉祭全国俳句大会」を開催し、一般の方々や県内の小中学生など、幅広く多くの方々が俳句に親しみ、楽しんでいただけるような機会と場の提供に努めております。

協議会の活動を通じて、『おくのほそ道』や俳句といった伝統ある文学が世界に広く発信されることで、日本文化への理解が深まり、未来へ継承されるものとなることを期待しております。

「俳句と八戸」

ユネスコ登録推進協議会参加者 小林 眞

青森県の南東部に位置し、先人たちの弛みない努力と恵まれた地域資源を背景に、東北随一の工業都市、北日本屈指の国際貿易港、青森県南から岩手県北にまたがる広域圏における中心都市として発展してきた八はち戸のへ市し は、産業面のみならず、文化面でも豊かな歴史を育んできた。特に、八戸と俳諧の歴史は古く、系統立った俳諧の始まりは、八戸藩第7 代藩主・南部信のぶ房ふさが蕉しょう風ふう俳諧へ入門、天明三年(一七八三)に立りっ机き して、互ご 扇せん楼ろう畔はん李り と号してからと言われている。その頃、十二文・十六文という蕎麦一杯の値段で応募できる「月つき並なみ句く 合あわせ」が流行しており、後に数度の改号を経て、五ご 梅ばい庵あん畔李と号した信房は、二月から十二月の題を記した「五梅庵畔李評 月並句合」の評者となった。投句された句は、天・地・人等に選定され、入選すると賞品が貰えるとあって、武士や町人の間で流行し、愛好者が拡大したという。

そして、信房の弟・右京もまた、百ひゃく丈じょう軒けん互ご 連れんと号し、以来、八戸の俳諧は蕉風俳諧の流れを汲む「互扇楼」「星せい霜そう庵あん」「百丈軒」「花月堂」「三さん峰ぽう館かん」の五系統を中心に続き、現在はそのうちの「星霜庵」「百丈軒」「花月堂」が、明治期に創設された「八戸俳諧倶楽部」に受け継がれてきた。

現代以降、俳人の登竜門として知られる角川俳句賞の受賞者も数名輩出している八戸は、風土俳句の全国有数の発信地でもある。

例えば、三陸復興国立公園内の景勝地――波打ち際まで天然芝が広がる海岸で青と緑の絶景を堪能できる「種差天然芝生地」や、毎年3 ~ 4 万羽のウミネコが飛来する国の天然記念物「蕪島」など、八戸の風光明媚な自然の肥沃さは吟行の格好の素材となり、更に、ここに暮らす人々の営みに深く根ざした「八戸えんぶり」などの郷土色豊かな民俗芸能が、脈々と息づく地であることも、俳句が盛んとなる土壌として大いに影響しているであろう。

現在では、「薫くん風ぷう」「青あお嶺ね 」「たかんな」の三結社が中心となり、切磋琢磨しながら、八戸の俳壇を牽引しており、それぞれの精力的な活動が当市の俳句界を支えている。当市が昨年4 月に本協議会への自治体加盟を決めたのも、関係各位の熱意が支えとなったところが大きく、今後こうした方々の活動に寄り添いながら、わが国が誇る文化である俳句が、世界で更に羽ばたくため、会員各位とともに力を合わせられればと考えている。(八戸市長)

地域で育てる「俳句の学校」

秋田県八峰町長 森田新一郎

八峰町は、世界自然遺産「白神山地」の麓に位置し、町の西側は日本海に面し、北部は県立自然公園にも指定されている起伏に富んだ岩浜が特徴の滝の間・岩館海岸があり、夏場は多くの海水浴客で賑わいます。

町の東側は、秋になるとソバの花が咲き乱れる東雲大地、アユが生息する河川などを有する、自然に恵まれた風光明媚な町でございます。

現在、生薬栽培が行われ、のど飴のテレビCMで上映されるなど、「生薬の町」としても全国に発信しているところです。また、数年前からは、アワビの陸上養殖も行われており、年間をとおしてホテルや民宿、道の駅等でアワビグルメ料理が堪能できるようになりました。

この白神山地周辺や海岸部には、地球科学的に見て貴重な地形や地質などが多く残る場所で、これらを保全、利活用するユネスコのジオパーク活動にも取り組んでおり、自然観光と絡めた観光振興を進めております。

江戸時代後期の紀行家、管江真澄が訪れた地域でもあり、その際、茅葺きの民家と桃の花が咲き誇る様子に感動し、中国の詩にある「桃源郷」になぞらえた「手這坂集落」もあり、桃の開花時期の5 月連休には、町内外から多くの見物客が訪れます。このように、恵まれた自然や古い歴史や文化に育まれた地域であることから、古くから俳句に親しんでおり、ポンポコ山公園の「碑のけどっこ」には町民の詠んだ多くの句碑が並んでいます。

この方々が指導者となり、やがて学校の正課クラブに俳句の学習が取り入れられるようになりました。地域と学校が一体となった俳句への取り組みはやがて全国的にも有名な俳句の学校「塙川小学校」を生み出しました。

同校は、全国規模の俳句大会で何度も全国一に輝く常連校となり、少子化の影響で統合し「峰浜小学校」と名称は変わりましたが、現在もその伝統は脈々と引き継がれ、多くの小学生俳人を生み出しております。この俳句への取り組みにより、子供達の感性が磨かれ、集中力が高まる事で、全国学力テストでは、常に全国トップレベルの好成績が保たれています。

町では、新たな取り組みとして、平成27年度から、秋田県内の100校余りの全小学生を対象に「あきた白神子どもの俳画大会」を主催しており、毎年多くの作品が寄せられております。

これからも、「俳句」を核とし、町と地域指導者、学校が一体となり、体力、知力ともに優れた子どもの育成に力を注いでまいります。

俳句・「おくのほそ道」

宮城県大崎市長 伊藤康志

大崎市は、宮城県の北西部に位置し、東西に約80㎞の長さを持ち、南北に東北新幹線、東北自動車道、国道4 号が縦断しています。市の中心部は県北部の交通の要所として商業、行政、都市サービスの拠点としての機能を果たしています。市内には国内でも有数の温泉である鳴子温泉郷や、ラムサール条約登録湿地である蕪栗沼、化女沼などの豊かな自然資源があり、大崎耕土と呼ばれる水田地帯とそれを支える伝統的な水管理システムは世界農業遺産に認定されています。

本年6月より、本市も日本文化の宝である俳句を無形文化遺産に登録するという目的に賛同し、俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会に参加をいたしました。俳聖として世界的にも知られる松尾芭蕉の「おくのほそ道」は、日本文学史上でも屈指の紀行作品として位置づけられ、古の歌人達によって永遠に伝えられる松島や平泉などの歌枕を訪ね歩いた旅として、現代の人々にとってもあこがれの旅となっています。

本市にも、歌枕となった地があり、「小お 黒ぐろヶが 崎ざき」、「美み豆ずの小こ 島じま」、「玉たま造つくり江え 」は平安時代からの歌枕であり、岩出山から堺田への途中で訪れていることが「おくのほそ道」や曾良の旅日記から分かります。また、「緒お 絶だえの橋はし」も平安時代からの悲恋の歌枕として知られています。

芭蕉が旅した「おくのほそ道」は、本市の一部の区間を歴史の道「陸奥上街道」、「出羽仙台街道中山越」として保存整備し、国の史跡に指定されています。栗原市一迫の境から本市岩出山地域の町内へと向かう「陸奥上街道」には、旧街道の面影を残す「千本松長根」や河童の伝説がある「磯いそ良ら 神社」、塚の盛土が対で残る「天王寺一里塚」があります。芭蕉が厳しい取り調べを受けた鳴子温泉の「尿前の関」から始まり山形県最上町の堺田へと向かう「出羽仙台街道中山越」は、「おくのほそ道」に大山をのぼりてと記されるとともに険しい峡谷を通る難所であり、源義経が東下りの際に野宿したとの伝説が残る「甘酒地蔵」があります。これらの整備した街道筋には、所々に芭蕉を偲ぶ句碑も建っています。

協議会の皆様とともに、ユネスコ無形文化遺産登録を目指し、世界に俳句を発信する活動を行うことにより、国内外の人々に俳句と「おくのほそ道」のすばらしさを再認識していただくことで、日本文化への理解とインバウンドへの弾みとなることを期待しております。

俳句を通して日本の風景

秋田県にかほ市長 市川 雄次

秋田県にかほ市は、西に日本海、南に標高2,236mの鳥海山を併せ持つ風光明媚なまちです。にかほ市の象きさ潟かたは『おくのほそ道』最北の地として広く知られています。象潟は昔、大小百前後の島を浮かべた入り江であり、松島と並び称された景勝地でした。松島とともに同紀行の目的地とされ、芭蕉は『おくのほそ道』の象潟の章で「松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし」と対比して表現しています。そして、雨に打たれるネムの花と象潟の愁いある風情に中国の悲劇の美女「西施」を思い浮かべ、「象潟や雨に西施がねぶの花」と詠んでいます。この句は現地で「象潟の4 雨や4 西施がねぶの花」と詠んだものであり、後に「象潟や雨に…」に推敲して『おくのほそ道』に収めています。俳句は一字を変えるだけで内容や雰囲気が大きく変わります。それが俳句の奥の深さであり、魅力であります。

さて、景勝地・象潟は文化元年(1804)の地震で隆起し、陸となってしまいました。島々は現在、水田の中に点在し、往時を偲ばせており、昭和9年に国の天然記念物に指定されています。いにしえの姿とは大きく変わりましたが、能因や西行が詠んだとされる歌、芭蕉をはじめ一茶など多くの文人たちが訪れ、詠んだ俳句は永遠に残り続けます。これらの歴史や作品に恥じないように、今の象潟の姿を護り、未来に受け継ぐことがわたしたちの役割だと思っています。

芭蕉が『おくのほそ道』で象潟を訪れ、俳句を詠んだことはにかほ市にとって大きな財産であり、様々な広がりを生んでいます。『おくのほそ道』で象潟を知り、芭蕉の足跡をたどって本市を訪れる方は少なくありません。毎年開催している「奥の細道象潟全国俳句大会」にも由緒ある地の大会として多くの句が寄せられています。また、芭蕉が対比した宮城県松島町と夫めおと婦町の盟約を結び、象潟の句に詠まれた西施のふるさと中国浙せつ江こう省しょう諸しょ曁き 市とは友好都市として、それぞれ交流を深めています。さらににかほ市は、奥の細道サミット、おくのほそ道の風景地ネットワーク、そして俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会に加盟し、関係自治体や団体と連携し、『おくのほそ道』や俳句を世界規模で普及していこうと進めています。

『おくのほそ道』や俳句を世界に発信することは、日本の風景、日本人の心を伝えることであり、日本を理解していただく一助となります。そのためにも私たちは日本を再認識し、日本の文化を継承していこうという意識をさらに高めていく必要があると思います。 (俳句ユネスコ会員)

俳句文化がまちに甦る日を目指して

北海道石狩市長 田岡克介

北海道石狩市は、札幌市の北隣、石狩湾に面し、石狩川河口部を含む南北80キロメートルに及ぶ海岸線と豊かな山林、さらに北海道の物流拠点である石狩湾新港を抱える都市です。鮭とともに歩んできたその歴史は古く、江戸時代初期にアイヌと和人が鮭の交易を行う「場所」が設定されてから、西蝦夷地の政治経済の中心地として発展しました。

こうした隆盛を支えた人々の中で俳句が盛んに詠まれるようになり、江戸時代末期には石狩川河口の本町地区で俳句結社「尚古社」が、また、明治中期には農耕地域の生振に入植した愛知県団体員により俳句結社「弥生社」が結成されました。特に明治期後半の尚古社には漁業支配人、商業人、医師、小学校長、町長などの町の名士のほか幅広い層の町民も参加し、道外から有名な俳人や文化人を招くなどして活発に活動していました。このようにして石狩には地域を挙げて全体が俳句に親しむ文化が形作られ、こうした活動は戦前まで続きました。この俳句文化をもう一度現代に蘇らせようと、本市では平成17年から毎年秋に「『俳句のまち~いしかり~』俳句コンテスト」を開催しています。これまでに27,000もの素晴らしい句が詠まれておりますが、第13回目となった昨年の天位は「砂さ嘴し統すぶる石狩灯台雲の峰」この句を含め、その年の天位受賞作品を刻んだ句碑を本町地区の観光道路沿いに建立し、多くの方に鑑賞して頂いております。また、同じく本町地区には、大正期に「尚古社」社主だった呉服店主の曾孫が開設している私設資料館「石狩尚古社」があります。ここでは、当時の社主が全国各地と交流して収集した俳句資料や書画などを整理・展示しており、往時の石狩に花開いた俳句文化の片鱗に触れる事ができます。

さらに、俳句コンテストと同時に、市内の児童生徒を対象とした「こども俳句コンテスト」も開催しています。自由なテーマのもと、子どもならではの視点で、喜怒哀楽や感動がのびのびと表現された句を見ると、こうした豊かな感性を失うことなく、これからも俳句との関わりを保ちながら育っていくことを願わずにはいられません。

俳句は、日本のすばらしい文化です。市花「はまなす」を詠んだ有馬会長の句碑が本市に建立されている事もご縁となり、この協議会に参加させて頂きましたが、ユネスコ無形文化遺産登録を目指して俳句を世界に発信する協議会の活動は、私どもの俳句文化再興の取組みに通底するものを感じます。これからも協議会の皆様方とともに活動してまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。(注:原文のママ)

俳句の未来への大いなる可能性を信じて

滋賀県伊賀市長 岡本 栄

有馬朗人先生をはじめ、俳句四協会の皆さん方が力をひとつに合わせてくださり、平成29年4月、俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会が発足いたしました。皆さんのご理解・ご協力に深く感謝申し上げます。

協議会の名誉会長には中曽根康弘元総理に就任頂きました。また協議会設立ののちには、国会議員による超党派の議員連盟もお作りいただき、会長には岸田文雄外務大臣(当時)、事務局長には盛山正仁副法務大臣(当時)が就任され、錚々たる皆さんがお集まりくださいました。

協議会会長の有馬朗人先生から、この取り組みの一翼を担うことを任された我々自治体も、より一層、無形文化遺産登録に向け注力しなければと、責任の重さを日々痛感しているところです。

伊賀市について考えてみれば、ひとえに「芭蕉力」というのでしょうか、芭蕉さんの重み、芭蕉さんを介した繋がりの深さによってここまで来ることができたという思いがあり、さらに「芭蕉力」によって登録へ近づけていきたいと願っております。

芭蕉、俳句には日本中に実に多くのゆかりの場所があり、すでに奥の細道サミットというような形で、繋がりのある市区町村があります。このサミットでは、昨年度総会で「奥の細道」をキーワードとして日本遺産への登録を推進することを決定しました。

これとは別に、私ども伊賀市と甲賀市の「忍者文化」が日本遺産に認定をいただきました。この流れの中で、「奥の細道」に加え「野ざらし紀行」や「笈の小文」など、芭蕉さんが訪れた土地へのつながりを一つひとつ紡いでいければ、さらに広がりが生まれるのではないかと思っています。

また、俳句のあるいは芭蕉の精神世界というものは17文字の中にだけに収まるものではなく、さまざまな形を持ち、広がりながら花開き、私たちに迫ってくるものだと思います。

文学だけではなく、例えばそれぞれが好きな芭蕉の句を一つ選んで、アーティストが音楽や絵画、彫刻などで表現するといった幅広い芸術というくくりの中で、俳句の魅力を表現できる場所や機会を設けることも面白いだろうと思います。

俳句をユネスコ無形文化遺産にということで、皆さんに大変ご尽力をいただいています。これは大いなる未来への可能性を秘めた事業でありチャンスであると考えますと、あらゆる方向から盛り立てていく必要があろうかと思います。どうぞ、今後ともご助力賜ります様よろしくお願い申し上げます。

「俳句」が世界を、未来を変える

愛媛伊県松山市長 野志克仁

愛媛県松山市は、正岡子規や高浜虚子など、日本を代表する俳人を多く輩出し、夏目漱石の『坊っちやん』や司馬遼太郎の『坂の上の雲』などの小説の舞台になるなど、文化的土壌の豊かなまちです。中でも、俳句は江戸時代から松山藩主が俳諧をたしなみ、小林一茶も訪れて句作するなど、古くから松山に根付いた文芸です。明治時代には、正岡子規が現在の意味で使われている「俳句」ということばを創始し、俳句革新運動を推し進め、今では多くの市民に親しまれています。

これら先人たちの築いてきた俳句文化を継承し、発展させるため、本市は様々な取組を行ってきました。1968年に第1 号を設置した「俳句ポスト」は松山市内はもちろん、現在は県外や海外も含め109ヵ所に広がり、1981年に開館した松山市立子規記念博物館は、65,000点を超える資料を収蔵、年間10万人以上の来館者を迎えています。また「子規顕彰全国俳句大会」「子規顕彰松山市小中高校生俳句大会」「松山市民俳句大会」はどれも50回以上の歴史を重ねてきました。

さらに、俳句甲子園をはじめ瀬戸内・松山国際写真俳句コンテストやインターネットの俳句投稿サイト「俳句ポスト365」などの新しい取組が次々と生み出されました。また、海外からはヘルマン・ファン・ロンパイ前EU大統領やラーシュ・ヴァリエ前駐日スウェーデン大使などの俳句愛好家の方々に御来訪いただいたほか、松山市と友好交流協定を結んでいる台北市で俳句イベントを開催するなど、俳句を通した国際交流も行っています。平成30年2月には、松山市の特別名誉市民であるファン・ロンパイ氏にも参加いただき、「International Photo-Haiku Festival(国際写真俳句コンテスト)」のシンポジウムが開かれます。

このように、官民が一体になって俳句への造詣を深め、本市では平成26年8 月に「俳都松山宣言」を発表しました。これは、俳句に親しみ、俳句を楽しみ、俳句を愛するまちとしての誇りと、俳句の可能性を広めゆく俳都としての意識を新たにし、俳句を楽しみ尽くす好奇心をエネルギーとした正岡子規の革新精神を受け継ぎ、世界へ向かって、そして100年後の未来へ向かって、俳句の風を絶やさず起こし続ける決意を宣言したものです。

現在、松山市では子規・漱石生誕150年の記念事業を実施しています。子規と漱石は学生時代からの親友で、松山で52日間、共に暮らしたことがあります。小説家のイメージが強い漱石ですが、それ以前に松山に英語教師として赴任し、この時に子規から熱心に俳句を学びました。あまり知られていませんが、漱石は小説家としてよりも早く子規派の俳人として日本の文壇にデビューしたのです。記念事業を通して、二人の足跡と功績を松山で体感していただきたいと思っています。2017年、正岡子規の生誕150年の記念の年に、俳句のユネスコ無形文化遺産登録推進協議会が設立されたことに、御縁を感じています。関係する皆様と共に日本の文学を代表する「俳句」を世界へ広め、未来へつなげられるよう、理事として取り組んでまいります。

「俳句」をユネスコ無形文化遺産に

岐阜県大垣市長 小川 敏

大垣市は、日本列島のほぼ中央に位置し、古くから中山道など主要街道が通る交通の要衝として、東西の経済・文化の交流点として栄えてきた岐阜県西濃地域の城下町です。また、揖斐川水系の自噴地帯にあり、良質で豊富な地下水に恵まれ、古くから「水の都」と呼ばれてきました。現在も市内各所に自噴井があり、水と緑があふれています。

本市は江戸時代の俳人・松尾芭蕉と縁が深く、元禄2 年(1689)の秋、芭蕉が「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」と詠み、江戸深川から始まった、『奥の細道』のむすびの地としても知られています。芭蕉はその生涯で4 回大垣を訪れており、『奥の細道』の旅においては、芭蕉が門人に宛てた手紙によれば、旅立つ前から終着点は「大垣」と決めていた様子が伺えます。

芭蕉がはじめて大垣を訪れたのは、貞享元年(1684)『野ざらし紀行』の旅の途中です。その目的は、大垣の船問屋主人で、俳諧を北村季吟に師事し、芭蕉と同門であった谷木因を訪ねることでした。このとき芭蕉は木因宅に1 か月ほど滞在し、木因の仲立ちで、大垣の俳人たちが新たな門人となりました。芭蕉が大垣を『奥の細道』のむすびの地とした背景には、早くから自分の俳風を受け入れた、親しい友人や門人たちの存在があったのではないでしょうか。

こうした歴史を背景に、本市には今なお俳句文化が色濃く息づいており、現在においても様々な形で俳句に親しむ機会が設けられています。

市内40か所に投句ポストを設置し、市民が気軽に俳句を発表できる「16万市民投句」、初心者向けの俳句教室である「三尺俳句教室」や「こども俳句教室」、全国から多くの投句を集め今年で29回目の開催となる「芭蕉蛤塚忌全国俳句大会」など、初心者から上級者まで、俳句関係者や団体等のご協力をいただきながら、広く俳句に親しめる事業を展開しています。また、俳句の新しい楽しみ方を発信する「東西俳句相撲」では、東京都荒川区からの参加者もお招きして、大いに大会を盛り上げていただいております。

 「俳句」は大垣市民の郷土文化と言っても過言ではなく、この文化を今後も大切に受け継いでいくために、本市では平成27年度から市内小中学校において「ふるさと大垣科」をスタートさせ、郷土の歴史文化を学ぶ中で、「俳句」の授業も行っております。「俳句」の授業においては、地元の俳句協会のご協力をいただくなど、市民と一体となり、俳句振興に取り組んでいます。小学校1 年生から中学校3 年生まで毎年「俳句」に親しむことで、質、量ともに俳句大会への投句が充実するという効果も少しずつ出始めております。

また、平成24年に整備した「奥の細道むすびの地記念館」では、芭蕉や『奥の細道』を紹介しており、開館後は、天皇・皇后両陛下の行幸啓をはじめ、市民はもとより、市外・県外からも俳句愛好者等多くの観光客にもご来館いただいております。記念館を拠点として、『奥の細道』とゆかりのある地域との交流も行っており、開館6年目の今年9月に入館者130万人を達成したところでございます。

これまでの歴史文化を生かしたまちづくりは、平成24年の文化庁長官表彰(文化芸術創造都市部門)に結実され、さらに平成26年3 月には「おくのほそ道の風景地 大垣船町川湊」として国の名勝指定を受けるに至りました。

そうした中、本年4 月に「俳句のユネスコ無形文化遺産登録推進協議会」が設立され、「俳句」を広く世界に発信する準備が進められています。協議会の理事として、ユネスコの無形文化遺産の登録に向けた活動に参加し、「俳句」を大いにアピールしていきたいと思っております。

「俳句」は年齢や地域に縛られることなく、各々が自由に楽しめる素晴らしい文化です。「俳句」がユネスコ無形文化遺産に登録されることは、俳句文化の盛り上がりや俳句を親しむ人々への大きな追い風となることでしょう。また、日本の慣習や知識が世界に向けて発信されるきっかけにもなると思います。これからも皆様と心をひとつにして、俳句を世界に広げる活動に積極的に取り組んでまいりたいと存じます。

俳句文化を世界に広げる活動の一翼を担います

西川太一郎
東京都荒川区長・特別区長会会長

「俳句は永遠を瞬間に閉じ込める文学」。これは小説家、美術評論家、詩人、政治家として活躍したフランスの元文化大臣アンドレ・マルローの言葉です。世界で最も短い定型詩といわれる俳句の「五・七・五」17文字で、私たちは四季を愛で、思いを伝え、新しいものを創りだすことができます。そして、俳句という無限に広がる世界の中で、私たちは国内外の多くの人たちと心を結ぶことができます。

荒川区は、松尾芭蕉「奥の細道矢立て初めの地」であり、小林一茶、正岡子規や種田山頭火が俳句を詠むなど多くの俳人にゆかりのある街です。荒川区では平成27年3 月、俳句の魅力を次代につなぐ架け橋として、子どもから大人まで俳句文化のすそ野を広げ、豊かな心を未来に伝えていくことを誓い、「俳句のまち あらかわ」を宣言いたしました。

区内南千住にある素盞雄神社には、文政3 (1820)年に建てられた奥の細道矢立初めの句「行春や鳥啼魚の目は泪」を刻む句碑があり、毎年、区内の小学生が俳句を競い合う俳句相撲大会を開催しています。この大会には、結びの地である岐阜県大垣市の小学生も参加し、芭蕉翁の結んでくれた御縁で交流が続いています。加えて区内の図書館等の投句箱には、多くの区民からの珠玉の一句が集まるなど、あらゆる世代の方が気軽に参加できる投句イベントや吟行会なども盛んです。更に、地域の方々が中心となった「奥の細道矢立初めの地全国俳句大会」や「一茶・山頭火俳句大会」なども行われています。

また昨年は、国内にとどまらず世界中に多くの愛好者のいる俳句文化を世界に向けて発信していきたいと考え、国際俳句交流協会会長の有馬朗人先生に御助言をいただき、英語俳句の取組として、英語の俳句手帳を作成し、中学生向けの英語俳句教室や吟行会を行いました。有馬朗人先生には、荒川区の国際俳句振興会議の委員への御就任をはじめ、区における俳句文化振興に多大な御尽力をいただいており、この場をお借りして感謝の意を表したいと存じます。

さて、このような取組がきっかけとなり、本年1 月には、前EU大統領で日EU俳句交流大使であるファン・ロンパイ氏が荒川区を訪問されました。矢立て初めの句碑や南千住駅前の松尾芭蕉像などを御視察され、素盞雄神社では、英語で詠まれた俳句を納められました。区の様々な俳句振興の取組にも大きな関心を示され、力強いエールもいただき、これまで以上に俳句文化振興を進めてまいりたいと意を強くした次第です。

そして、本年3 月26日、60万冊の蔵書を誇る「中央図書館」、区出身の作家・吉村昭氏の「記念文学館」、「子ども広場」がひとつになった施設、「ゆいの森あらかわ」を開館いたしました。この、荒川区の新たなランドマークとも言える「ゆいの森あらかわ」には、約1万5千冊の国内外の俳句資料も所蔵し、講演会や句会など俳句文化振興に資する事業も多数展開していく予定です。

このように、荒川区では、俳句の素晴らしさをまちづくりに活かすとともに世界へ発信していきたいと考えています。去る4月24日、俳句のユネスコ無形文化遺産登録推進協議会の設立総会が荒川区の日暮里で開催され、登録を目指す第一歩を踏み出すことができたことは大変光栄であり、喜ばしいことです。私も、皆様と心を一つにして、協議会副会長として俳句文化を世界に広げる活動に参加し、取り組んでまいります。

梅